読み書きできるのに話せないのはなぜ?日本の英語教育を考える

2018年3月28日

 

こんにちは!サエコです。

学生時代、理系のクラスを担当していた先生が私と話す時にこんなことを言っていました。

「東大や京大の賢い日本人の学者は素晴らしい論文を完璧な英語で書き上げるんだ。世界中の学者がそれを読んで感銘を受けるのに、いざ発表会などで本人が喋るとなると全く英語が話せないんだ。あんなに完璧な英文を書けるのに不思議だね。」

読み書きできるけど話せない。

日本人に多いこの症状はどうすれば改善されるのでしょうか。

 

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英語が読める・書ける・聞き取れる。だけど喋れない。

これって英語に限らず語学を学ぶ上で決して良くはないですよね。

外国の人とコミュニケーションが取れるようになるための勉強なのに、何年も勉強して結局喋れないままとなると本末転倒です。

第二言語として学校で英語を教えるのであれば、きちんと使いこなせるところまで育てるべきだと思うのですが、そもそも英語担当の先生すら英語を話せないなど、どういうわけかまだまだ英会話の導入が遅れているのが現状です。

何年もかけて車の乗り方をレクチャーだけして、パーツの名前も道路標識も完璧に覚えさせて、全然実習がない状態で教習所を卒業するようなものではないでしょうか。

いくら知識があっても実践経験がなければ必ず事故に遭います

それが英語で言う所の「喋れない」に繋がるのではないでしょうか。

TOEIC高得点でも喋れない日本人

TOEICで素晴らしい高得点を叩き出し、良い会社に就職した人でも英語を話せない人が大勢います。

TOEICにはスピーキングのテストはありません。聞き取りでそれなりの成果を出せればかなり高得点を狙えます。

「コツさえ覚えればTOEICで高得点を出すのは誰でも可能」と言われる理由の一つには「スピーキングが無いから」というのもあるのではないかと思います。

 

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英語が話せる=スペシャルなことと思いがち

日本人の良いところでもあり悪いところでもあると思うのですが、何をするにも0か100しかないと思いがちなように感じます。

「英語が話せます」と言うならネイティブレベルで、ビジネスミーティングもお手の物で、洋画も洋楽も余裕で理解できる人であるべき!!

といった具合です。

完璧を目指すのはもちろん素晴らしいことなのですが、そのポリシーが自分の首を締める結果となっては元も子もありません。

スピーキングの授業で頑張ることが恥ずかしい

日本の英語学習が詰め込み型だからといって、何も学校では全く英会話を教えていないわけではないと思います。

英語圏から外国人講師の方が来たり、それぞれの学校が何らかの形で英語と触れ合う機会を提供してくれているはずです。

けれど私の記憶では、中学のスピーキングの授業で英会話の練習の際、みんなカタカナ英語でもじもじしながら下を向いて教科書を追うだけだったのをよく覚えています。

Rの発音をちょっと舌を巻いて頑張ってみようもんなら「なに気取ってんの」と言わんばかりのクスクス・ヒソヒソ声。

上手くできないなら黙っとけ、みたいな空気が教室中に充満します。

ゼロか完璧か。英語が全くできないかペラペラか。

その中間は決して許されない風潮。

練習する姿勢を否定されてしまっては、ますます話せなくなってしまいます。

恥じらいは英会話上達の邪魔にしかならない

上手く発音できなかったり、間違った単語を言ってしまったりすると、恥ずかしいし、もう嫌だと思うこともあると思います。

しかしそれは絶対に次に生かされるし、逆にその道を通らないと英語を話せるようにはなりません。

ゼロか完璧かではなく、完璧に向かう道中でどれだけ吸収できたかで英会話力は変わるのです。

 

まとめ

うまく発音できない、Rの発音の加減がわからない、単語ごとに発音はできるのに文章になったら言えないなど、悩みは次々出て来ると思います。

しかしどの悩みも前進の証拠であって、努力の向こう側には何億人もの人と自由にコミュニケーションが取れる未来が待っています。

今はゼロでも良いのです。恥ずかしがらず、間違っても良いのでどんどん英語で会話する機会を増やしましょう!

 

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